2011年3月11日。その日は、七ヶ浜町花渕にある同性寺様の墓地でお墓の建て方をしていました。
2時46分、携帯から突然「大地震です!」というメッセージが流れ、その瞬間、もの凄い地鳴りが始まり、
地面が揺れ始まりました。時間が経つにつれ、地鳴りと揺れは大きくなり、その場から動けなくなりました。
この間、周囲の重いお墓が宙を舞い始め、そして、ダルマ落としの様にお墓が崩れていくのを目の当たりにしました。
自分がやっている現場も崩れるのではないかと怖くなり、「あ、もう死ぬかも・・」と思いました。
そして、揺れが収まると防災無線から「大津波が来ます。予測高さは6mです」と、空襲警報の様に鳴り続きました。
自分のいるところは、岬の先端で高台になっていました。「6mだったら、ここには津波は来ないけど、帰り道はヤバいな。」
と思いながら愚かにも「津波・・、見てみよう」と思い、海が見えるところまで行ってしまいました。
15分くらい待っていましたが、津波は来ませんでした。
「これなら大丈夫か?」と思い、帰ることとしました。
途中、家は倒れているし、ブロック塀は崩れているし、信号は消えてるし、マンホールは道路から1m以上浮き上がっているし、
本当に恐ろしい状況でした。
何とか、多賀城市八幡にある資材置き場まで戻ることができ、さて、どうしようかと考えました。
多賀城市は海がありません。また、ウチの資材置き場は海から2km以上はあるので、まさかここまで津波は来るとは考えていませんでした。
自宅も実家ことも心配だったので、急いで戻りたいと思いましたが、その時、下水から黒い水が吹き上がってきました。
そして、砂押川を渡る頃、黒い壁みたいな水が迫ってくるところでした。全く音がしない感じでした。
地震発生から45分くらい後のことでした。
多賀城の八幡にある資材置き場には、2m以上の津波が来たようでした。
この時の記憶は、まるで昨日の事の様に鮮明です。
全ての人に辛い毎日が始まる初日となりました。
え
1カ月程まるで何もやる気がなっかことを覚えています。